肥前名護屋城へ行ってきました。

いつ来ても広大な城跡に驚きます。
ひと昔は天守台に登って、素晴らしい景色を眺めて終わりだったのですが、色々と当時の遺構が見つかっているようで名護屋城の整備もかなり行われていました。
ご注意
この記事は、2008年02月10日 に作成されたものです。
現在は状況が異なる可能性がありますのでご注意ください。




豊臣秀吉が文禄・慶長の役で朝鮮出兵の際に築いた一大拠点。その一大拠点だった事を示すのが名護屋城のもう一つの魅力である城の周辺に広がる陣跡。徳川家康、前田利家など全国の武将が陣を構えており、当時はこの名護屋城が日本の中心だったのかもしれません。



今は城壁でしか城の骨格をうかがい知る事ができませんが、当時は大阪城をも凌ぐ大きさだったとか。このお城の整備が終わりその姿を現した時にはどれだけの城郭になっているのでしょうか、恐らく日本最大の城跡になっているのではないかと思われます。それには、この先何十年と掛かると思いますが非常に楽しみです。

名護屋城址と陣跡めぐり、名護屋城博物館と回れば丸1日ないと難しいかもしれませんね。
私は天守台への往復と博物館で半日は掛かってしまいました。
次回行く時は桜が満開の名護屋城と、陣跡めぐりに挑戦したいと思います。
名護屋城 - Wikipedia
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋)にあった城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれた城。国指定特別史跡。
【関連リンク】
▲▽ 名護屋城博物館(佐賀県庁)
▲▽名護屋城跡と陣跡(佐賀県庁)
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