近代日本を支えた佐賀藩の科学技術

佐賀の紀伊国屋書店で「何か面白い小説ないかな~」ぐらいの気持ちで探していると、『火城』という本が目に飛び込んできました。パラパラっと中を見て、また他の本を探してみるも先ほどの『火城』がとても気になる。

近代日本を支えた佐賀藩の科学技術

佐賀の七賢人の1人、佐野栄寿(常民)のお話です。
「佐賀の偉人の事について知っておく良いきっかけかも」という事で購入。

日本赤十字社の創始者として大変有名ですが、薩長土肥の明治政府の中核に佐賀藩がいる事が出来たのは、佐賀藩の科学技術が優れていた事で新政府が取り込みたかったからです。
その科学技術を佐賀藩に持ち込むきっかけを作ったのが佐野栄寿(常民)でした。

幕末の佐賀藩は鎖国内鎖国を敷くほど他藩との接触さえも禁じていました。
尊王攘夷をはじめとする様々な思想に佐賀藩内が乱れないようにするためです。

ですが、幕末から明治維新にかけて佐賀藩は全国に先駆けて反射炉を作りアームストロング砲の製造や蒸気機関の開発、日本初の蒸気船の製造などなど、とても鎖国している藩とは思えないほど外国の技術を果敢に取り入れ、国内トップクラスの技術大国になりました。

なぜ、そんな保守的な佐賀藩に科学技術を持ち込むことができたのか、
佐野栄寿の人柄と人との繋がりが面白おかしく書かれています。
非常に読みやすくわかりやすい本だと思いました。

早津江には三重津海軍所があって蒸気船の修理や造船が行われていました。
佐賀が造船立国だっとはね・・・。
今の佐野常民記念館がある場所です。
『火城』を読むと、三重津海軍所の存在がすごい事に気づかされます。

このことから世界遺産に認定されるべく『九州・山口の近代化産業遺産群』に含まれています。
九州・山口の近代化産業遺産群

近代日本を支えた佐賀藩と佐野栄寿(常民)がとても誇らしく思えました。

ご注意

この記事は、2013年01月21日 に作成されたものです。

現在は状況が異なる可能性がありますのでご注意ください。



同じカテゴリー(読書)の記事画像
人の目を気にして生きるのは自分の人生ではない。
すべてにハマった。
これも何かの縁だったのでしょう。
同じカテゴリー(読書)の記事
 人の目を気にして生きるのは自分の人生ではない。 (2016-08-05 18:23)
 すべてにハマった。 (2013-07-15 16:55)
 これも何かの縁だったのでしょう。 (2012-12-05 20:02)

この記事へコメント
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。